フランス映画界の伝説ともいえる女優、ブリジット・バルドー(BB/ベベ)が2025年、90歳の誕生日を迎えました。彼女は単なる過去のアイコンに留まらず、1952年に映画『素晴らしき遺産』で女優としてデビューしてから70年以上が経過した現在もなお、その圧倒的な存在感で世界中の人々を魅了し続けています。彼女の愛称「BB」は、そのイニシャルとフランス語で「赤ちゃん」を意味する「bébé」をかけたものであり、その響きは彼女の愛らしいイメージを象徴しています。
バルドーは「フランスのマリリン・モンロー」とも称され、20世紀を代表するシンボルとして一世を風靡しました。しかし、彼女の魅力は見た目の美しさに限定されるものではありません。根底にある、時代を先取る力や、女性として自立した精神を持ち合わせるような内面的な要素にこそ、彼女の普遍的な魅力の源泉があると考えられます。
デビュー当時の挑発的な小悪魔的なイメージと、後に動物愛護活動に人生を捧げたライフスタイルとの対比は、彼女の人物像に深みと複雑性をもたらし、現代の多様な価値観を持つ人々にも響く普遍的な魅力を生み出しています。


フランスから来た衝撃─生誕90周年 ブリジット・バルドーの魅力を再発見
最終更新日:2025年07月15日

フランスだけでなく世界中を魅了した女優・モデル・シンボル
パリ16区の高級住宅街で育ったバルドーは、幼少期からバレエに熱中し、身体表現の基礎を培いました。15歳でモデル活動を開始し、『ELLE』誌の表紙を飾ったことが、彼女を映画界へと導くきっかけとなります。このバレエやモデルとしての経験は、彼女の自己表現を確立する上で重要な役割を果たしたでしょう。
彼女のパリでの生い立ちや、ジャン=リュック・ゴダール、ルイ・マルといったフランスの巨匠たちの映画への出演は、ハリウッド映画に観られるストレートなストーリーテリングとは異なる洗練された“フレンチネス”を彼女の魅力に加えています。なかでも、ロジェ・ヴァディム監督との出会いと結婚は、彼女の女優としてのキャリアを本格的に始動させる転機となりました。
B.B.の代表作をVODで振り返る
ブリジット・バルドーの代表作を観ると、彼女が時代とともにどのように変化し、そして影響を与えてきたかが分かります。現在、VODやレンタルサービスで観られる作品から彼女の魅力を振り返ってみましょう。
『ビキニの裸女』(1952年)
『ビキニの裸女』はバルドーが初めて主演を務めたラブロマンスです。パリの大学生ジェラールは、講義で古代フェニキアの財宝が沈んだという伝説を耳にし、コルシカ近くのラベジ島へ向かいます。密輸業者エリックと手を組み、黄金探しに挑む彼の前に現れたのが、島に暮らす少女マニーナ(バルドー)でした。
物語そのものはロマンティックな冒険譚ですが、バルドーは当時17歳ながら、すでに奔放さと無垢さ、危うさと自由さを併せ持ち、単なるラブロマンスのヒロインではなく、時代の感性を象徴するアイコンとして浮かび上がります。
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『素直な悪女』(1956年)
ロジェ・ヴァディム監督によるこの作品は、当時ヴァディムの妻だったバルドーを一躍世界的なスターダムへと押し上げました。
南仏サントロペの港町を舞台にした本作のヒロインは、孤児として育ち、奔放で自由な性格を持つジュリエット(バルドー)。町の男たちからはそのセクシーさで注目の的となっています。そんなジュリエットが思いを寄せるのは、地元のプレイボーイ、アントワーヌ。
一方、ジュリエットの純真さと危うさに惹かれたのは、アントワーヌの弟であるミシェルです。彼はジュリエットを守ろうとして彼女と結婚しますが、彼女の奔放さによって周囲は翻弄されていきます。
この作品は従来の“良妻賢母”像とは真逆の、性と自由に忠実なヒロイン像を描いたことで、当時としては非常に挑発的でセンセーショナルな内容でした。
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『軽蔑』(1963年)
ジャン=リュック・ゴダール監督の代表作のひとつでもある本作でバルドーが演じたのは、脚本家の妻で女優のカミーユ・ジャヴァルです。
映画プロデューサーのプロコシュから、大作映画「オデュッセイア」の脚本の手直しを頼まれた、売れない脚本家のポール。ポールと彼の妻カミーユはプロコシュの自宅に招待されますが、遅れてやってきたポールにカミーユは軽蔑の眼差しを向けます。
夫婦の愛の終焉を描く『軽蔑』はゴダールが商業映画と芸術映画の狭間で創り上げた異色作であり、ゴダール特有の芸術性を保ちつつも比較的入りやすい作品で、バルドーの洗練された魅力が堪能できる一本です。
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BBの今:動物愛護活動や現在の生き方
ブリジット・バルドーは1973年、39歳の若さで映画界から引退しました。それ以降、彼女は女優として表舞台に立つことなく、その人生の全てを熱心な動物愛護活動に捧げています。90歳となった現在も、南仏サントロペにある邸宅「ラ・マドラグ」で動物たちと共に静かに暮らしています。
バルドーの動物愛護活動は多岐にわたります。
1962年には、家畜の屠殺方法に不満を抱きペスカタリアン(魚介類は摂取する菜食主義者)に転向したことを発表したほか、1976年には国際動物福祉基金と協力し、カナダのアザラシ狩りの実態を告発しています。この活動は、1977年のフランス、そして1983年のEUにおけるアザラシの毛皮輸入禁止へと繋がりました。子供向けにアザラシの赤ちゃんに関する本「Noonoah le petit phoque blanc(ヌノア 小さな白いアザラシ)」を出版するなど、啓発活動にも力を入れています。
彼女の揺るぎない信念を示す象徴的なエピソードとして、1985年のレジオンドヌール勲章辞退が挙げられます。この勲章は、分野に関係なく功労者にフランスが与えるもので、過去には渋沢栄一も受賞していますが、バルドーは授与式に出席することもせず、「私のレジオンドヌール勲章を苦しむ動物たちに捧げる」と宣言しています。
1986年には、自身の名を冠した「ブリジット・バルドー動物愛護財団」を設立しました。財団の設立資金を捻出するため、自身の宝石、服、ギターなどを競売にかけて売却したという逸話は、彼女の動物愛護への並々ならぬ情熱を物語っています。
さらに、1989年から1992年にかけては、テレビ番組『S.O.S. Animaux』に出演し、象牙の不正取引、動物実験、過剰な狩り、エキゾチック動物の不正取引、屠畜場の状況など、様々な動物問題を世に訴えかけました。1994年にはハイブランドのデザイナーたちに対し、毛皮の使用を止めるよう要請しています。
今こそBBに恋する理由
バルドーの“小悪魔キュート”なファッションは、今なおファッション業界に大きな影響を与え続け、ある種の「美学」として時代を超えて受け継がれています。レペットのバレエシューズや、無造作なヘアスタイル、日本だとギャルの盛り髪にも影響を与えたビーハイブ(蜂の巣)ヘアなど、例を挙げればきりがありません。彼女は自身の魅力を最大限に引き出しつつも、無理に作り込むことなく、ありのままの自分を表現しました。
ビジュアル的な魅力のみならず、彼女は現代や未来を生きる私たちの生き方にヒントを与えてくれる存在でもあります。価値観が多様化している今こそ、私たちはブリジット・バルドーに「恋をする」理由があるのかもしれません。
大人たちの思惑に流されず、自立した生き方を貫いた彼女の姿は、「フェミニストの原型」ともいえるでしょう(本人がフェミニストというわけではなくても)。女優としての絶頂期にキャリアを捨て、動物愛護というひとつの大義に人生を捧げた彼女の選択は、現代人がキャリアや生き方に悩む中で、強いメッセージを放っています。そのメッセージとは、「名声や富よりも、自身の価値観を貫くこと」。
情報がありふれた現代の社会において「何のために生きるか」「どうすれば自分らしくいられるか」という問いへのひとつの答えともいえるのではないでしょうか。生誕90周年となる今こそブリジット・バルドーの過去作を見直し、魅力を再発見するちょうどいい機会です。

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